2011年4月10日日曜日

ウォッチング J-Netメディア『千年に一度の眼前の危機』

想定外の千年に一度の地震・大津波・福島第一原発事故の三重苦災害。二万数千人の死者・行方不明の犠牲者。


避難所生活者は死者・行方不明者数よりさらに一桁多い上、無理な節電や放射能汚染“難民“は数千万人規模の被害者と考えると空恐ろしい数の人々だ。東日本にとって一大事の今回の巨大地震・大津波・福島第一原発事故の三重苦災害は日本社会の眼前の危機であり、これは戦後の危機に相当するものだろう。当時も広島・長崎・琉球の犠牲者も含めて数千万人の被害者が出ていた。
平成のこの危機は数年後にはある程度克服されているだろう。敗戦後日本はアメリカナイズされ、大きく変わった。今回はどう変わるべきなのだろうか?

ネット・ジャーナリズムの一端を担うネット・ジャーナリストはどう変わるべきだろうか?

広瀬隆氏平井憲夫氏らが原発事故の恐ろしさ・危険について口を酸っぱくして主張してきたが、一方、この国の多くのジャーナリストは原発を容認してきた。マスコミ・ジャーナリストの責任論は当然のごとく浮上してきている。朝日新聞他多くのマスコミは原発推進ないし容認であった。根本から考え直すべきと迫るのが眼前の福島第一原発の放射能汚染だといえる。
これから我が国の住人の生活のあり方を根本から考え直させ、揺さぶるのだろう。
 前の戦争では国全体が戦争という“人工大津波”で国土を焦土とするまでそれを止めることができなかった。このことと同じように何故原発が止められないのだろうか?
 拡大再生産が至上命令である資本主義経済は決して電力消費を飛躍的に節約することはなく、むしろ消費増を目指している。その消費増を支えるのが原発であった。これからは新たな安全基準ができて、その基準で原子力発電が続けられるのだろう。はたしてそれでいいのだろうか?
 眼前の危機、高レベル放射能汚染水と低レベル放射能汚染水が同時に福島第一原発付近で垂れ流されている。総合的には危険きわまりない高い濃度の放射能海洋汚染だ。
 朝日ニュースターのパックインジャーナルに原子炉の設計者が出演。彼は原子炉の設計者の立場から事故の可能性を指摘してきたが、白い眼で見られるようになり、“変人扱い”され、疎外されてきたことを何度も主張していた。さぞつらかったろう。アメリカの赤狩りのようにパージする社会だ。日本社会は“邪魔者”を変人扱いにして言論抑圧も含めて排除する社会なのだろう。筆者も排除される側であった。
 2005年発行の日本エネルギー学会の報告書を見ると、高レベル放射性廃棄物は完全処分に1000年かかると指摘している。千年に一度の巨大地震は今や火山国日本の活断層の活動期という説もあり、百年に数度以上起こる可能性があると考えるべきで、もはや原発はすべてやめるべきだろう。
 変人扱いされても旧約聖書のノアのような勇気をもって、千年に一度の危険がまもなくやってくると指摘する人々の言論を尊重して冷静に反省する態度をどう養えるのか、試練が待っている。艱難辛苦われに与えたまえ!

 J-Netから転載

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