2011年2月22日火曜日

『デジタル時代の記事アーカイブ・情報共有』

メディアウォッチング 『デジタル時代の情報共有の問題点』
 ”あらゆる”ネット情報をどう保存し、アーカイブ化するか、今後の検討課題でないだろうか?
グーグル社の書籍・本のデジタル化とネット共有企画;
日本は私企業であるグーグル社を警戒して著作権をあとからクリアするというやり方で”すべて”の本をデジタル化して共有化することを容認しなかった。
このことは多くの教育者や研究者にとっては内心残念に思っておられるのではないかと推察する。
が、もともとアメリカの企業であるグーグル社の独占を警戒するのは”国益を優先する霞ヶ関官僚主導社会の日本の現状では”致し方がないことかもしれない。
紙の本は次第に褪色して傷む。復刻再販されるものは例外的でほとんどは次第に扱い難く、読み辛くなる可能性を孕んでいる。
 グーグルは英語圏主要国で著作者の許しを連絡が難しいなどのケースでは事後承諾してでも”すべて”の書籍・本をデジタル化してパブリックドメイン化(共有化)しつつある。これならいつまでも無料で見られる限り人類共有財産となる。写真集も著作権保護期間が過ぎたものはあたりまえだがネットで自由にアクセスできて事実上共有化されるメリットは大きい。
 映画や映像ニュースも有料のものはレンタルビデオかあるいは公共のMuseumかLiibraryで見ることができるだろう。
 国立近代美術館の膨大な映像フィルムも予算が許す限りどんどんデジタル化して公開の道を開くことができるだろう。予算の壁は大きいがいつかは実現する可能性がある。

 問題は現状のネット上ではどうだろうか?
 現在ウエッブで見ることができるコンテンツはおそらく大半は失われるのではという危惧がある。
デジタル情報もとてもはかないものだ。データがうっかり破棄されたり、失われたりすることは頻発する。関西大震災の少し前に、映像作品を企画制作して作品を収めたCD-ROM。それが地震で無残に壊れたケースもあった。
現在では保存すべきデジタルデータを”クラウド=cloud”に置くことで保存OKという。
しかし、そのクラウドは絶対安全かというと難しいのではないか?
国立国会図書館はデジタルデーターを関西館にも置く計画も含めて京阪奈学研都市に関西館を完成させ、運営されている。
国立国会図書館では書籍のデジタル化も進んでいると聞く。筆者は最近、母校の前身(今宮中学校)の30年史を関西館で参照できた。それはCD-ROM画像としてみることができたが、読み辛いものであった。本当ならテキスト化されるべきだろう。
 日本でも次第に(グーグル社のやりかたよりは、はるかに遅くなるるかもしれないが)本・書籍がデジタル化されて、共有化され、だれもがアクセスする時代がくるだろう。

 問題は今ネットにある”多くの情報”をどう保存するかである。これはその必要がないと言えばそれまでだ。筆者の個人的ケースでは完全なミラーサイトをつくっていなかった愚を後悔するケースが4ブログあった。中学校の同窓会無料HPが一つ、アルバイト時代のアルバイト同窓会ブログが一つ、家族と自分の日記風ブログが一つなど。すべて無料で提供していた会社の都合で中止され、データーが消失、一部しか保存できなかった。アメリカ在住の後輩とのメール交換も自己責任とはいえ、なくなって残念。あの後輩はどうしているかと気になることもある。
 ここでとまって、振り返ろう!秋葉原無差別殺人犯の身柄確保の一次資料の映像は“マスゴミ“だと酷評されたが、これはごみではなく必要な共有財産として保存されるべきだろう。問題はどう共有化してネットなどでアクセス可能かということである。
 グーグル社らにまかせないとしたら、どこがそれを行うか?グーグル社ぐらいしか”公”的機関は考えられない。
当ジャーナリスト・ネットも何度もHP改定、過去の貴重なアーカイブ記事は多くはもはや見られない。
アーカイブは記事の書き手が自己責任で保存する方針であり、これは今でも変わらない。問題がやや小さくないのが例えば金曜インタビュー。もはや見られなくなっているインタビュー記事がある。アーカイブにない記事で、もう一度見たいという読者もおられることだろう。特にインタビューを受けた人たち:もはや記事がジャーナリスト・ネットのアーカイブとして見られなくなってなっている現状をインタビューを受けた人たちはどう思っているだろうか?こういう記事は到底” ごみ”と言えないもので、処理を避けるべき貴重なものだ。記事を書いた人が再アップされるのが望ましいと思う。
 ジャーナリストネットだけの問題でない。小生が交わしたアメリカ人と結婚した後輩女性とのメール交換(同窓会内HP内で公開)をもう一度見たいという人もいる。もう一度見たいというケースを予想して、やはり自己責任で自分用のアーカイブをつくってバックをアップしてクラウドやCD・DVDほか記憶素子の残しておくべきだろう。グーグルメールにしておけば保存は簡単だがこれは有効だと思う。自己責任といえばすべて問題はないように思えるが、自己責任という言葉には、ある意味で責任放棄を内包している。それで一見こと済むように思えるこの言葉、総て総括できそうで、実はこれほど無責任で好い加減なことばは少ない。
 ミラーサイトでいつでもアーカイブを見ることができる状態は最良だが、再アップも可能にするためきちんとバックして三重四重に保存しておくのが基本であろう。そしてパブリックアクセスに備えよう!

Journaqlist-Net併載

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